健康ファミリー 2003年1月号掲載
●抗ガン剤の死は予想のうち 「医薬品の臨床試験参加者募集」といった新聞の一面広告を、よく見かけるようになった。 これまで医薬品の臨床試験は、例えば新薬開発メーカー側の働きかけによって、大学病院などの医局が協力してデータ集めをしてきたのだ。つまり、入院患者の病状に応じて、新薬のテスト(モルモット)患者にされてきたのは公知の事実である。こうした新薬開発に伴う問題点のひとつに、医局(教授と主治医)と患者の力関係から、無理やり臨床試験を押しつけられる、といった構図ができていて、患者側に不利な場合が少なくなかったのだ。 そこで当時の厚生省は、密室でのデータ集めが、とかく患者の人権を無視しかねないのと、データの質的な向上を目ざす方向で、98年4月に新GCP(医薬品の臨床試験の実施に関する基準)の施行が行なわれたのだ。読売ADリポートによれば、新GCPは「インフォームド・コンセントの徹底や同意書提出の義務付けなどが盛り込まれた。一方で治験の参加者は大幅に減少。治験実施体制を整えるため99年6月以降、広告での治験者募集が認められた」といういきさつがある。同リポートによれば、新聞広告の先陣をきったのは、塩野義製薬の木の実ナナさんを使った「私はバリバリの鬱です 」が大反響だったとか。 その後加賀まり子さんを使って、骨粗鬆症の治験参加呼びかけ広告(中外製薬と日本イーライリリー)など次々と新聞紙面を飾っている。こうした広告によって、臨床試験参加者(応募者)が増加し、製薬メーカー側として被験者の選別がしやすくなったわけだが、応募した患者の病歴はどのように保護されるのか問題とされている。 さて、昨年来の食品企業の企業モラルに反する数々の事件が薬業界にも出た。肺ガン治療薬「イレッサ」(一般名・ゲフィチニブ)の副作用被害は、死亡者27人を含む69人。輸入販売元のアストラゼネカ社(大阪市北区)では、副作用報告を過小評価して報告、二転三転して報告をやり直したが、まるで雪印食品や日本ハムの偽装報告と同じようだ。 この肺ガン薬の当初の日本人の臨床試験参加者は150人とか。錠剤だったために扱いやすく3ヵ月間に約7000人の患者に投与されたが、そのほとんどは、他に治療法のない患者で、すでに別の抗ガン剤の投与もうけていて、それが副作用を誘発したかもしれない (毎日新聞02年10月20日)。 イレッサは、02年7月に、半年間のスピード審査で日本が認可。世界では認められていない抗ガン剤だが輸入・販売元では「使用している患者数も前回の7千人から約1万人に増えており、臨床試験で分かっている死亡率の範囲内(日経10月27)」と説明している。さらに「世界ではイレッサを投与した患者の0・2〜0・4%に間質性肺炎が発生している。日本での販売後の発生率も同程度で専門家は“副作用の頻度は予想の範囲内だ”」と話す。(毎日10月20日) 末期のガン患者をもつ家族にしてみれば、すでに治療法がないと医者からサジを投げられたうえ、「こんな(イレッサ)薬がありますが使ってみますか」と問われれば、いちるの望みをかけるのは患者・家族の心情ではないだろうか。今回の副作用による被害(死亡も含め)が、予想の範囲とする専門家の発言の裏に、世界に先駆けて輸入・販売が承認されたカラクリがなかったのか。死を賭して臨床実験に加わる必要があったのだろうか。 ●「ドクハラ」に弱い患者の立場 医薬の副作用という「暴挙」に恐れ戦くと同時に、医者が発する言葉の暴力というのも見逃せない。名づけて「ドクターハラスメント」と医者の暴言を「今週の異議あり」(毎日新聞11月7日)で訴えている。 略して「ドクハラ」と称して、医者が患者に発する言葉を表ざたにして、医療界の構造改革を進める、と訴える。 その中から医者が発する言葉だけをピックアップしてみよう。医者がすすめる治療法を拒否する患者に、「おれの言うことを聞かないの」「知らないよ」(どうなっても)「どこで死ぬ気なの」「再発するよ」「急いで手術しないと治らないよ」と。外科医の土屋繁裕氏(46)(福島県郡山市・土屋病院外科部長)が、医療改革と同時に、患者側の立場から、医者の言動の重みを訴えている。 本誌にも登場していただいた山梨医科大学教授の田村康二先生は『ここが気になる医者のコトバ』(青春出版・1400円)の中で、こんな医者の言葉も要注意、と書いている。 おことわりしておくが、土屋氏も田村氏も、医者と患者を敵対関係におくのではなく、両者の言動、言い分をお互いに十分に汲みとり、理解する(させる)必要があり、それが患者にとっても、医療者側にとってもメリットがある、と訴えているのだ。田村先生は、「診察」「検査」「薬」「通院」「入院・手術」「治療と予後」など時々のコトバの難しさを、臨床医としての経験から訴える。医者が患者に接してはくコトバは、そのコトバから患者や家族が読みとってほしい意味が色々あるのだ、と付け加える。 新聞投書欄にのる「医者の暴言」で「治らないよ」「ダメだネ」「なんでこれまで放っておいたの」「むずかしいね」「(自分と違う医療方法を指して)あそこではダメだよ」「そんなことで治ると思ってんの」などと、患者の弱みにつけ込んで言いたい放題。患者にとってみれば、どんな方法だろうが、自分の病気や悩みが解消・治ればいいのだ。その手助けを医療従事者という立場から、医療技術と言葉を添えてくれればいいのであって、医・薬の犠牲を望んではいないのだ。
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